身体の知らせ〜気づきはギフト〜2020、11月加筆
身体のしんどさをどの様に捉える事ができるでしょうか。
本来からだは痛みやダルさ、いわゆる症状と言われるものになる前に何かシグナルを出しています。普段はなんてことはない事に腹が立つ、視野が狭くなっている、思考が重たい、そこに居たくないなど。反応は身体的なものに留まりません。ここでその存在に気づくことが出来ればいいのですが、生活の中の忙しさの中でそのシグナルに気づかない、気づいていても動けない、意識的に気づかないふりをしている事もあります。
次第にシグナルはアラームへと変化してきます。目が充血する、しょぼしょぼする、あくびを沢山する、なんとなく首、肩へ自然と手がいき揉んでいる、、。机の角に足をぶつけるなど。さらにこのアラームが鳴り止むことが出来ないと、からだは「僕回復したいから休もうよ?」と痛みや症状と言われるようなものとして気づかせてくれます。気になる、なんとか頑張れる、全く動けない等症状にも段階があります。痛みがあるのにも関わらずそれに対処がないとそれはさらに深さを増し、選択肢がなくなり、やがてブラックボックスのようにないものの様に扱われます。
さらに〇〇痛や〇〇症という言葉が症状に定着すると自分ではそこから脱出しにくくなります。ロルフィングを受けて身体が重力と仲良くなってくると、この身体感覚の知らせに早く気づいたりするようになります。さらには気づいた時には身体にとって必要ない物を事前に回避していたと言う事も起こります。気づきというのは人間にもたらされたギフトです。さらにその気づきの支えに身体はなってくれます。ここに身体統合があらゆる症状の改善に繋がる鍵があります。
身体が嫌がっていても、脳が今までのこの習慣を変えたくないと固執することでの葛藤や矛盾もあったりもします。一つ過ぎればまた一つ、私自身今尚その長いプロセスの真っ只中です。確かに言えることは、変化が起こることを「へぇ〜こんなとこもあるんだ。」と認めて受け入れていくことで、より「らしい」自分へと流れていくこと。10シリーズを終えるということは、あなたらしさへと続く道へのスタートラインへ立ったということなのだと思います。
このブログへ辿り着いているあなたは何かしら変化を望んでいる旅人だと存じます。是非ご自身の流れに素直に飛び込んでみて下さい。私が責任を持ってその変化のお供をいたします。